元プロ野球選手の山本昌ってどんな人?

元プロ野球選手の山本昌は、1983年秋のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名され入団して以降、1984年から引退する2015年までの32年間にわたり、現役投手として活躍し続けました。

引退時の年齢が50歳だったこともあり、日本プロ野球界では多くの記録を樹立しています。
高年齢になってからも一線級でプレーすることは、本人の努力だけで何とかなる問題ではなく、周囲の協力も必要とされますから、今後二度と破られることが無いだろう記録も多々あります。

通算成績は581試合に登板し先発が514回、219勝165敗5セーブで生涯の防御率は3.45です。
投手としてのタイトルは、1994年に投手最高の栄誉とされる沢村賞に選出されほか、最多勝利投手を通算3度獲得、1993年に最優秀勝率と最優秀防御率を同時に授賞、1997年には最多奪三振王に輝いています。

現役時代が長かったわりに獲得したタイトル数は決して多くはありませんが、山本昌の真骨頂はやはり50歳までマウンドに立ち続けたことです。
在籍年数32年は日本記録で、実働年数29年は工藤公康や中島聡と並ぶタイ記録となっています。

日本のプロ野球界で23シーズン連続勝利を挙げた投手は、工藤公康と三浦大輔を含め過去3人しかいません。
29年連続奪三振は、山本昌と工藤公康の2人だけが記録しています。

鋭いスクリューボールを武器としていた

引退までに積み上げた勝利数219は、過去のNPBプレイヤーの中では2018年現在で歴代16位ですが、昔は登板間隔が短かったため単純比較はできません。
現在のプロ野球界では最低でも中4日以上空けるのが常識ですから、現ソフトバンクホークス監督で同世代の元投手、工藤公康の224勝には及ばないものの、これに次ぐ高い評価であることは間違いないでしょう。

鋭いスクリューボールを武器としていたこともあり、奪三振数に至っては通算2310個と歴代11位です。
50歳と2ヶ月で一軍の試合に先発登板したことは、日本プロ野球界の記録として刻まれ、今後破られる可能性は小さいと考えられます。
この時の最年長先発登板と同時に達成した記録は、最年長試合出場です。

最後に打席に立ったのは49歳1ヶ月で、打者も含めたNPBの最年長打席記録となっています。
投手が打席に立つのはセリーグだけですから、将来的にこの記録を破る野手が現れたとしても、投手としての最年長打席記録は永遠に残り続ける可能性があります。

(参考)
5月20日(日)ナゴヤドームで始球式を務めます – 山本昌オフィシャルブログ

最後に勝利を挙げたのは2014年9月5日の阪神戦

最後に勝利を挙げたのは2014年9月5日の阪神戦で、5回を0点に抑え見事49歳と0ヶ月で勝利投手となりました。
それまでの記録保持者は、1950年まで阪急ブレーブスでプレーしていた浜崎真二投手で、48歳4ヶ月です。
あまりに古い記録で比較にならず、この記録がいかに偉大かを示しています。

2010年9月4日には巨人戦で完投勝利を挙げ、これが現役最後の完投勝利となったものの、45歳と0ヶ月はやはりNPB記録です。
これに次ぐ投手は毎日オリオンズに所属していた若林投手で、1950年に記録した42歳8ヶ月ですから、人並み外れた偉業であることがうかがい知れます。

晩年の記録の中でも輝いているのは、最年長ノーヒットノーランです。
2006年9月16日の阪神戦で達成し、この時の年齢は41歳と1ヶ月でした。
しかもこの試合で許したランナーはエラーによるわずか一人のみでしたから、もしこのエラーが無ければ従来の最年長完全試合を大幅に更新していたことになります。

最年長完全試合の記録は、1955年まで巨人に在籍していた藤本英雄投手が持っている32歳1ヶ月です。

ホールドポイントに関する記録は山本昌が保持

ほとんどの記録が先発投手に関係するものですが、セットアッパーのみに与えられるホールドポイントに関する記録は、実は山本昌が保持しています。
2011年はキャンプ中に怪我をしたこともあり、一切登板が無く多くの連続記録が途絶えることとなりましたが、明けて2012年当時の高木監督は山本昌の復活を考え、開幕からローテーション入りを果たします。

一時調子落ちにより低迷したものの、10月3日の調整登板で中継ぎとしてマウンドに立ち、3イニングを無難に抑えました。
結果勝利投手となり、副産物として工藤公康の持っていた最年長ホールドポイント記録を47歳1ヶ月で更新しています。
最年長ホールドに関しては、工藤公康の46歳4ヶ月が2018年現在のNPB記録です。

このほかフランチャイズプレイヤーも、山本昌の31年が最長となっています。
フランチャイズプレイヤーとは、入団してから引退までの間、他の球団へ移ること無く同一球団でプレーし続けるもので、球団に必要とされる選手しか成し得ません。

しかもFA権を行使せずに、球団に残る本人の強い意志も必須となります。
引退後のインタビューでは、FA権を取得した際に球団を去ることや、メジャーへ挑戦しようと考えたことは一切無く、お世話になった球団やファンのために頑張りたかったと明言しています。